夜想

いつだって一番近くにいた。少なくともブリニョルフはそう思っていた。
同時に、常に遠く感じていた。

 

追い詰められた。ブリニョルフがそのこと気付いた時には既に時遅し。

最悪の状況を再認識させるような下卑た笑みを浮かべながら、男たちが近付いて来る。
袋小路に追い込まれ、逃げ場がない少年の恐怖心を煽るように、わざと緩慢に。
その時、男たちの中に長い緑髪の男の姿を見つけて、ここまで追い込まれた理由を悟った。
あいつが、ブリニョルフをこの連中に売ったのだ。
ブリニョルフが精一杯の非難を込めて睨み付けると、彼は「ご明察」とでも言いたげに笑みを深くした。

ブリニョルフは父親の顔はを知らない。そもそも会ったことさえない。
母親はどこかの街の酒場女だったが、その記憶も今となっては朧げになっている。
彼女が自分に遺したものはブリニョルフという名前だけだ。幼くして天涯孤独の身の上となったが、幸いにしてブリニョルフは器用な手先と軽やかな身のこなしに恵まれ、利発で弁も立った。
時には崩れかけた孤児院の厄介になり、時には辛うじて雨風を凌げる小屋に身を潜め、物乞いや盗みを繰り返して何とか生き繋ぎ、やがてその才覚を見抜いた男に拾われた。
その男こそ、ここリフテンを拠点とする盗賊ギルドの長であるガルス・デシデニウスだ。
ギルドの一員となったブリニョルフはガルスを実父のように慕い、彼から更なる知識や技術を授かり、より一層に才能を伸ばして行った。

しかし、ギルドマスターの関心をその身に受け、幼いながらも頭角を現し始めたブリニョルフを快く思わない者がいたとしても無理からぬ話だ。そう、あの緑髪の男のように。
彼もギルドの構成員で、擦れ違う時などに聞こえよがしに中傷を受けたことがあり、ブリニョルフのことを快く思っていないのは明白だった。しかし、安全圏から石を投げるような真似しかできない男だから実害はないと思い、完全に無視していたのだが、まさか「仲間」を売るという大胆な行動に出るとは思わなかった。
盗賊ギルドは違法な組織だが、仲間同士の繋がりは強く、仲間を害する行為は御法度であると殆どの者が考える。しかし緑髪の男は、ブリニョルフがいつどこで仕事…つまり盗みを働くかを事前に知っておき、そして獲物となる連中に情報を流したのだろう。
かくして、その男の策略にはまったブリニョルフは窮地に陥ることとなった。

「…っ!」

汚い路地の上へとうつ伏せに突き倒され、その背を踏み付けられてしまえば、最早ブリニョルフには逃げる術もない。男たちの耳障りな笑い声が頭上から降ってくる。それでも彼らから掠め取った金を返してやるつもりはなく、腹の下に金貨の詰まった革袋を隠す。

その様がおかしかったのか、男たちの笑い声が一層大きく響いた。しかし複数の男たちに押さえ付けられ、「戦利品」はあっさり奪い返されてしまう。
男の1人が少年の目の前へとしゃがみ込み、にやにや笑いながら手にしたダガーを見せ付ける。

「ははは、手癖が悪くてすばしっこいガキもこうなっちまったら手も足も出ねぇよな?
さーて、どうしてやろうかねぇ」
陽光を受けて煌めいた刃にブリニョルフは恐怖を感じたが、それでも歯を食いしばり、せめてもの抵抗とばかりに睨み付けてやると、ダガーを持った男が目を細めた。どうやらブリニョルフが見せた反応は、彼の望むものではなかったようだ。

「こいつの指を切り落とす。二度とあんな舐めた真似できねぇようにな」

「へぇ、いいねぇ。果たして何本目で泣き出すかな?」

「よし、賭けようぜ!」

男たちは「2本目ぐらいは持つんじゃね?」「いやいや、1本でギャン泣きだろ!」などと好き勝手に囃し立て、下品な笑い声を響かせる。そうしている間にも、男の1人がブリニョルフの腕を強引に引っ張って地面に押し付ける。背面と足もそれぞれ別の男に押さえ付けられているため、全く身動きが取れない。
ダガーを持った男が、どの指からいこうかねぇと呟きながら刃先で指を撫でていく。
まずは小指に決めたらしい。

「よーし、行くぜぇ!」
男がダガーを高く振り上げる、他の連中の野次が響く。絶望的な状況にあっても、ブリニョルフは心までこんな男たちに屈するのは絶対に嫌だった。
自分の指が切り落とされる瞬間を、その時の屈辱を心に焼き付けて忘れまいとするように、男が手にしたダガーから目を逸らさない。その態度が一層のこと男の癪に障ったか、彼の顔が酷く歪むのが見えた。

「はっ!その虚勢もいつまで持つかな!?」
そして、遂に男はダガーを振り下ろしたが、しかしその刃がブリニョルフの指を切り落とすことはなかった。

「がっ!」

少年の指を切り落とそうとしていた男が、文字通り吹っ飛んだ。道端に積み上げられていた木箱に叩き付けられる。誰もがこれから行われる「見世物」に注視していたため、何が起きたかすぐには理解出来ず、そのために対応が遅れた。
乱入者の姿を視認した瞬間、ブリニョルフは思わず声を上げそうになった。見知った顔だった。

乱入した何者か…さほど屈強には見えない、どちらかと言えば小柄な人物が、呆気に取られている男たちを次々に薙ぎ倒していく。優美とさえ言える、流れるように軽やかな動作だ。
ようやく我にかえった男たちが迎撃態勢に入るも、彼の敵ではなかった。男たちのほうが体格で勝っているように見えるのに、体格差も人数の差も全く問題ではないというぐらい、「彼」は圧倒的な強さを持っていた。
暫くの間、ブリニョルフは起き上がることも逃げ出すことも忘れて、目の前の光景に…いや、彼に見入ってしまう。
決着はすぐに着いた。ある者は仰向けに倒れ、ある者は道端の樽に首を突っ込んだ状態で、ある者は壁に寄り掛かりながら、いずれも戦闘不能にされている。

「な、何だてめぇは…!?」

ブリニョルフの指を切り落とそうとした男がよろよろと立ち上がり、手にした得物をこれ見よがしに乱入者に向けて怒号を放つ。ところが、侵入者は腹の底から響くような怒号にも、ダガーの鋭い切っ先にも物怖じすることなく、挑発的な笑みを向けて「かかってこい」とでも言うような手の動きをしてみせた。

「…殺してやる」

乱入者の挑発を受けた男は、低く抑えた声でそう宣言した。その傍らで、例の緑髪の男が彼とは対照的に顔面蒼白になりながら言った。彼だけは乱入者への迎撃に加わらなかったと見えて、無傷のままだ。

「おい…や、やばいぞ!あいつ、じゃなかった、あの人は…」

男を止めようと、得物を持つほうとは反対の腕を掴んだが、怒り狂っている彼を止められる筈もなく簡単に振り解かれてしまった。猛然と地を蹴り、鬨の声を上げながら乱入者へと斬り掛かる。
屈強な体躯に見合わぬ俊敏な動作だが、乱入者は無造作に半歩だけ横に動き、ダガーの切っ先の軌道から逸れると同時に彼の腕を掴んで軽く捻った。

「ぐあっ!?」

自らの勢いをまともに受け、男の身体が派手に地面に転がり、そのまま道の脇に置いてあった木箱を巻き込み、けたたましい音を響かせた。破損した木箱や、周囲に散乱した木屑の中に仰向けで倒れたままの彼は、先よりもダメージが大きかったらしく、すぐに起き上がることもできずに苦しげに呻いている。
彼を止めようとしていた緑髪の男がが、地面に膝を着いたまま「ああ…」と情けない声を上げる。今すぐにでも逃げ出したといった様子だが、どうやら腰が抜けて立ち上がれないようだ。

「がっかりだ」

乱入者のほうはと言えば、彼らにはすっかり興味をなくしたらしく、嘲りを込めて呟くとブリニョルフのほうへと歩み寄る。男たちに背を向け、一見すると無防備な様子だが、当然ながら誰も彼をどうこうする気はないようだ。

ブリニョルフは既に身を起こしており、目立たぬように息を潜めながら、何かあればすぐに逃げられるよう準備している。今の今まで逃げ出さずに事態を見守っていたのは、この乱入者に並ならぬ関心を抱いたからに他ならない。
乱入者…メルセル・フレイという名の少年を、改めて観察する。

ギルドで何度か見かけたことはあったが、こうして対面するのはほぼ初めてだ。彼は、年の頃は十の半ばといったところで、ブリニョルフより年かさの少年だ。
ブレトンである彼は、同じ年頃のノルドの少年と比べても細身の体躯だが、小型の肉食獣のような剽悍さを漂わせている。

ガルスを師事していたというメルセルは、ブリニョルフから見れば兄弟子に当たるのだろうが、そのように思ったことは一度もない。ブリニョルフがギルドに入るまではギルドで最年少だったというメルセルは、初めて会った頃から既にギルドの運営に関わる立場におり、自分より年上の盗賊たちからの尊敬を集めていた。
ギルド入りしたばかりのブリニョルフは、「雲の上の人、ってヤツか」などと他人事のように考え、特に関わる機会も必要性もないままに過ごし、それで特に不都合もなかった。

「さっさと立てよ、えーっと」

「ブリニョルフ、だ」」

高圧的に言い放つ彼に、改めて名乗った。元来、ブリニョルフか人から命令されることに反発を覚える性質だが、何故か彼の言葉には素直に従った。
助けてもらったから、というだけではない。それだけではない何かをこの少年に感じたのだ。

「そうそう、ブリニョルフだったか。馬鹿な奴だな、お前は。
ただバレずに盗めばいいってもんじゃない。
いくらあいつらの血の巡りが悪くたって、そう何度も何度も盗られればさすがに気付くに決まってるだろうが。
それであいつらは、わざと金をちらつかせてお前を誘い込む罠を張ってたというわけだ。
ま、ギルドの連中が入れ知恵したんだろうがな。
腕は悪くないようだが、悪目立ちしすぎだ」

そう言って緑髪の男に一瞥を向けると、彼は怯えた目をしたが、メルセルのほうはそれ以上の関心はないようで、すぐにブリニョルフに視線を戻す。
先ほどの男たちは、ブリニョルフにとって長らくいいカモだった。金が入る度に酒や賭け事に散財し、酔っ払ったままポケットに無造作に金貨を捻じ込んでその辺で眠りこける。
金の計算が出来るほどの頭もなさそうだが、それでも不信感を持たれないように立ち回っていたつもりだった。

しかし、まさかギルド員がこんな形で仲間を裏切るとは思っていなかったこともあり、ブリニョルフは少年に対して何も言い返せない。彼は言外に「ギルドの奴にも気を抜くな」と言っているのだ。
図星だったからというのもあるが、それ以上に相手が自分のことをよく知っているらしいことに驚いた。
ブリニョルフが知る限り、彼は他人への関心が極めて薄く、唯一の例外であるガルス以外に興味を示すとは思っていなかった。

唐突に、少年がブリニョルフに何かを投げてよこした。反射的に受け取ったそれは、ブリニョルフがさっきの男たちから盗んだ、そして奪い返された革袋だ。
いったいいつのまに?
ずっと見ていたブリニョルフにはわかるが、この少年が倒れ伏せた男たちの懐を漁る時間などなかった。

「ついでだから掠め取った。そんなはした金、お前にくれてやるよ」

双眸を大きく開いたまま棒立ちになるブリニョルフの肩を軽く叩き、事も無げに言ってのける。
つまり先ほどの戦闘の間に掏ったということだろうか。彼ほど強ければ、相手を戦闘不能にしてから奪うということも可能だ。しかし、彼なら戦わずして盗むことも容易いのだろうとブリニョルフは思った。

いったいこの少年は、メルセル・フレイとはどういう人物なのだろうか、と彼をまじまじと眺める。
彼もまたブリニョルフを不躾に観察し、やがて彼の中で何らかの結論に到達したらしく、口の端を釣り上げて笑った。傲慢な印象を受ける笑みだ。

「さっきから見ていたが、お前、なかなか根性があるな。あの状況で泣き出さなかったのは、まぁ、誉めてやってもいいぞ」

「あんた、やっぱり見てたんだな」

「は、気付いていたか。なるほど、やっぱりお前はそこまで間抜けじゃなさそうだな。
もし泣いて奴らに命乞いでも始めたら、ほっとくつもりだった」

メルセルは全く悪びれた風もなく言ってのけたが、ブリニョルフもまた、そんな彼に対し腹が立ったりはしない。いつのまにか、これこそがメルセル・フレイという人物なのだと自然に受け入れていた。

「よし、決めた」

「何だ?」

「お前、俺の子分になれよ。
確かガルスに弟子入りした奴だった筈だが、これからは俺に従え。いいな?」

「…わかった」

まるでこちらには選択権などないかのような高慢な物言いで、本来なら何か言い返すべき場面だが、ブリニョルフは即答した。

後から思い返せば、この時にはもう既に彼に魅せられていたのだろう。彼の持つ傲慢な強さに、どうしようもないほど惹き付けられていた。
ブリニョルフの返事に、メルセルは満足そうに口の端を吊り上げた。

上手く言えないが、この瞬間、確かに世界が変わった気がした。

「さぁ、来いよ、ブリニョルフ」

そう言ってメルセルは、ブリニョルフの意向などお構いなしに歩き出す。どこに向かうとも、子分といっても具体的に何をするのか聞かされてもいないが、それでもブリニョルフは彼と共に歩むことを既に決心していた。

ずっと根無し草として各地を放浪してきたブリニョルフだが、メルセルと言葉を交わした瞬間から、彼の持つ傲慢な強さや掴み所のない身軽さに惹き付けられた。ガルスと出会ってギルドに迎え入れられた時でさえ、これほど惹き付けられることはなかったというのに。

「あんたとは長い付き合いになる気がするよ」

前方を歩く彼の背を見ながら呟くと、メルセルは何も答えず、ただ小さく肩を竦めただけだった。

こうしてブリニョルフは、本当の意味で盗賊ギルドの一員となった。ガルスに見出されてギルドに来た時点では、ブリニョルフにとってギルドは人生の通過点の1つに過ぎなかったが、この日から彼の人生そのものとなった。
ブリニョルフが予見した通り、メルセルとは長い付き合いとなる。

メルセルがギルドでの地位を更に高め、ブリニョルフの知らないところでナイチンゲール三人衆の一員に選ばれた時も。

先代ギルドマスターが死んだ時も。
その一件以来、メルセルが変わってしまった時も。
ギルドに斜陽の影が差し、衰退を誰もが感じていた時も。
自分やメルセルが死にゆく種族と呼ばれた時も。
あいつを…ギルドの風向きを変えたあの小娘を、自分が連れて来た時も。

いつだってブリニョルフはメルセルの一番近くにいた。影のように彼に寄り添っていたのだ。

そう、彼がギルドを裏切ったあの日まで。

「ん……」

まるで水面へと顔を出すように、眠りの淵に沈んでいた意識が現実世界へと浮上していく。
瞼を持ち上げれば、薄汚れた石造りの天井が目に入る。
ややあって、自分は今ギルド内にある自室にいて、寝台で眠っていたのだという事実を思い出す。自室と言っても、簡素な寝台以外は彼の腰元までの高さの衣装箪笥が置いてあるだけの小さな部屋で、部屋の内側と外側を隔てるのは天幕代わりの粗末な布を垂らしている。それでも、ブリニョルフは特に不自由を感じたことはない。

一瞬とは言え、自分がまるで別の場所、そして別の時間軸にいたと錯覚してしまうほどに鮮明な夢を見ていた。
ブリニョルフは何度か目を瞬かせた後、ゆっくりと半身を起こし、詰めていた息を吐き出す。暫く半身だけを起こして、寝台の上端部分に背を預けて物思いに耽るようにじっとしていたが、夢の残滓を払い落とすように頭を振って寝台から起き上がる。
何十年間も身に染み付いた習慣で、寝起きはすこぶる良いほうだ。もっとも、寝起きの悪い奴は盗賊になどなるべきではないと常々考えている。寝台を整え、軽く湯浴みをして身支度を整えると、いつものように貯水池にある執務室に向かう。

執務机を目にした瞬間、そこによく見知った姿を見たような気がした。

「メ、――――――」

咄嗟にその名を口にしようとした…ところで我へと返り、喉元まで出かかっていた声を押し止めた。

(何を考えているんだ、俺は)

そう自問し、目を覚ませと言い聞かせる。
当然ながらメルセルの姿などある筈もなく、目の前には執務机があるだけだ。そして、この机の主は今ではブリニョルフなのだ。
しっかりしろという思いを込めて小さく嘆息すると、日々の仕事をこなすべく執務机に着いた。

さて、昨日はどこまで仕事を終わらせていたか、今日は何から手を付けるべきか、そんなことを考えていると、細身の人物が近付いて来るのが見えた。ヴェックスだ。
会うのは久々だな、などと思いながらブリニョルフは彼女に顔を向ける。

「ああ、ヴェックスか。帰っていたんだな」

「ついさっき、ね。あんたがまだ寝てるって聞いたから、フラゴンで軽く食って来たところさ。
それより」

そこで言葉を切った彼女は、僅かに眉を顰めた。

「どうしたんだい、ぼーっとして?
あんたらしくもない」

「いや…」

いつもと変わらぬよう振る舞っていたつもりだったが、さすがにヴェックスは鋭い。
とは言え、詳細について話す気にもなれず、「ちょっとな」と曖昧に笑った。

「待たせて悪かったよ、ヴェックス。さて、首尾のほうを聞かせてもらおうか」

ありがたいことに、彼女はこういう時にあまり深く言及する性格でもなく、無理矢理に本題へと移ったブリニョルフの意図を汲み取ってくれた。

「ソリチュードでの任務だが、無事に完了したよ。ま、あたしの手にかかればちょろいもんさ。
エリクールの奴は、これまで協力関係にあった賊を自分の手を汚すことなく切り捨てられてご機嫌だったよ。
今後はギルドの支援者になってくれるそうだ。
エリクール本人からデルビンに宛てた手紙も、そろそろ届く頃合いかね」

「そうか。ご苦労だった、ヴェックス。
いつもながらお前は頼りになるよ」

そう言って労うと、ヴェックスは「当然だろう」と澄まし顔で答えたが、ブリニョルフの賞賛に満更でもない様子が見て取れた。

何日か前、ソリチュードの有権者からギルドに依頼が舞い込んだ。その有権者は、首都ソリチュードのエリシフ首長の従士を務めているエリクールという男で、彼からの依頼と聞いてギルドの誰もが驚いた。
この男の後ろ盾を得ることができれば、ギルドは首都に足場を築くことができる。いや、正確に言えば、既に足場はできあがっていた。その上に、更なる土台を積み重ねて行けるという期待をギルド員全員が抱いたことだろう。またとない好機だが、同時に失敗は許されない任務である。
となれば、ギルドで随一の腕を誇るヴェックスの出番となるのは当然の流れと言える。

「ふん。あたしを誰だと思ってんだい。
ああ、そうそう、船の中でこんなもんまで見つけたよ」

そう言ってヴェックスが取り出したのは掌中にすっぽり収まる大きさの宝石…透明な輝きを持つダイヤモンドだ。大きさといい、処理といい、申し分のない逸品だ。ブリニョルフは思わず「ほう」と感嘆の声を上げた。

「すごいじゃないか。
その賊とやらは、随分と羽振りが良かったんだな」

ブリニョルフの言葉に、ヴェックスは首を横に振った。

「いや、シケた連中だったよ。おんぼろ船を乗り回す海賊崩れさ。
こいつはね、カビ臭い船倉に文字通り転がってたのさ。埃にまぎれながらね。
おそらくあの船の乗員どもは、まさかこんなお宝が近くに転がってるなんて思いもよらなかっただろうねぇ」

そう言って口の端を吊り上げ、皮肉めいた笑みを浮かべる。釣られてブリニョルフも笑った。

「ははは!なるほどな、仕事を無事に終えただけでなく、その過程で思わぬ幸運にも恵まれたってわけか。
伝承によれば、ノクターナルがお前に微笑んでくれたってところか?」

そう言うと、ヴェックスの顔に苦々しい色が浮かぶ。彼女は、ノクターナルが自分たち盗賊に幸運をもたらす存在で、彼女の加護を受けた者が優秀な盗賊になれるという考えを好まない。この女盗賊が信じるのは己の技術と賢知のみだ。

「あんただって本気でそう思ってるわけじゃないだろ、ブリニョルフ…いや、ギルドマスター殿?」

趣旨返しとばかりに言い放ち、不敵な笑みを浮かべる。ヴェックスの狙い通り、ブリニョルフはあまりいい顔をしなかった。

「まぁ、確かに同感だ。
しかし…」

執務机の上の書類を整えながら、ブリニョルフは息を吐き出した。

「俺がギルドマスターねぇ。
もう2年経つってのに、未だに実感が沸かないな」

そう言って、見るともなく虚空に視線を向ける。ブリニョルフがギルドマスターの地位に就いてから過ぎた時間、それは前任のギルドマスターことメルセル・フレイが姿を消してからの時間と同じ長さだ。

「実感があろうとなかろうと、今じゃあんたがあたしたちのボスさ。
そうだろう?」

「わかっているさ、ヴェックス」

「そうかい。ならいいけどね」

そう言いながらヴェックスは、ブリニョルフの背後へと視線を向ける。その視線の先…執務机の後ろ側に人の頭部を模した石像があり、その石像は豪奢な王冠を戴いている。凝った細工を施した純金製の王冠で、更に24個もの赤い石を象眼して飾り立てるという実に華美な意匠だ。
その王冠を眺めながら、ヴェックスは独白のように呟いた。

「ここんところ、宝石を捌く機会が増えたってトリニアが言ってたっけ。
あと、サファイアは以前よりも宝石を集めやすくなったって喜んでたっけな。
…あたしはノクターナルの加護なんてもんは信じちゃいないが、このブッサイクな冠がもたらす魔法の力かなんかは、あながち間違いでもないかもね」

あまりにも彼女らしい物言いに、思わず吹き出してしまう。

「おいおい、ブッサイクな冠はないだろう。
かのバレンジア女王が被っていた、由緒正しき王冠だぞ。
使われている金の純度も細工も申し分ない逸品さ」」

「ああ、お宝としての価値は疑う気はないさ。
でも、あたしはこんなもん被んのはごめんだね」

「まぁ、確かにな。少々理解し難い意匠であることは否定しないさ」

件のバレンジアの王冠は、被る者の頭部をすっぽりと多い、更に頭部の左右に翼を広げたような形状をしており、そして翼部分に瀟洒な細工を施し、合計24個の赤い宝石を散りばめるという非常に豪華な宝飾品だ。あまりにも豪奢すぎて、頭に戴くとまるで冗談のような絵柄になってしまうのが難点だが、宝飾品あるいは美術品としての価値は疑う余地もない。
しかし、ギルドにとってこの王冠は豪奢な宝飾品以上の意味がある。

「プロウラー効果、か」

ブリニョルフは、先ほどヴェックスが口にした「魔法の力」の言い方を変えて口に出した。彼女はその件についてはそれ以上何も言わず、「ああ、そうそう」と思い出したように言った。

「他にもっと些末なお宝も見つかったんだが、そっちはそれほどの価値にもなりそうになかったから、例のトカゲに頼んで小金に変えてきたよ」

「あいつか」

例のトカゲ、というこれまた彼女らしい物言いに思わず苦笑すると同時に、ガラム・エイの如何にも小賢しそうな抜け目のない顔を思い出す。

「なるほど、この極上の宝石はあのトカゲに委ねなかったんだな」

「ああ、一度裏切ったことを悔い改めてギルド側のスパイに戻ったとは言え、あたし個人としちゃあいつは今いち気に食わないね。
売買の時も、難癖付けて少しでも安く買い叩こうとしやがる」

そう言って顔を顰める彼女に「まぁまぁ」と声をかける。

「俺も同感だが、今回のソリチュードの件はあいつが一役買ったと言えなくもないしな。
だからと言って、敢えて仲良くする必要もないが、あまり言ってやってくれるな」

「…ふん」

ブリニョルフの言うことには一理あるが、賛同はしかねる、とでも言いたげにヴェックスは肩を竦めた。そして、話は終わったとばかりに歩き去る。

「とにかく、ご苦労だったな。ヴェックス」

その華奢な背に労いの言葉を投げ掛け、執務机の上に並べた書簡へと視線を落とす。
彼女からの返答は期待していなかったが、立ち去る前に呟いた言葉がやけに耳に残った。

「結局、呪いなんてものは本当にあったのかね」

はっとして顔を上げたが、ヴェックスのほうは立ち止まって振り返ることも、それ以上言葉を続けることもなかった。

「ガラム・エイ、か」

何となしにその名を呟くと同時に、彼がギルド側に舞い戻った経緯に思いを馳せずにはいられない。ガラム・エイは、ギルドがソリチュードにある東帝都社に送り込んだスパイだったが、一度はギルドを見限って別の違法組織に寝返ったアルゴニアンだ。
今から3年近く前…まだブリニョルフがギルドマスターではなく、それどころかそうなることさえ全く予想もしなかった頃にガラム・エイと一悶着があり、その結果、彼は再びギルド側に付くこととなった。
以来、首都ソリチュードにある東帝都社に真面目に勤務しながら、ギルドにめぼしい品や有益な情報を横流しし、時には盗品の売買口にもなってくれるという、ギルドにとって心強い協力者となった。ガラム・エイの協力によってギルドはソリチュードで動きやすくなり、ギルドの健闘ぶりがエリクールの耳に入ったことも、全く無関係とは言えない。

そして、ガラム・エイとギルドの間にあった「一悶着」は、ブリニョルフがギルドマスターの地位に就くことになった原因の1つでもある。

「……。
ああ、くそっ」

手元の書類に目を通し、頭の中で整理しようとすればするほど捗らなくなり、思わず毒づいてしまう。詰めていた息を吐き出すと、気分転換も兼ねて一度執務机から離れることにした。
ブリニョルフは、普段なら自分の感情に引き摺られることなど滅多になく、理詰めで成すべきことを効率良くこなすことを優先する。「夢見が悪かった」などあまりにも子供じみた話だが、そうとしか思えない理由で今日ばかりは仕事が捗らない。

この机の側にいると、どうしても彼のことばかりが脳裏を過る。

久々に市場に出て、胡散臭い薬売りとして口上でもしよう。その前に軽く腹ごしらえでも済ませようと、フラゴンへと向かう。
フラゴンに行くと、テーブルの一席に着いたデルビンが何やら複雑な面持ちで羊皮紙の束を眺めているのが見えた。ブリニョルフはヴェケルに軽食を注文すると、彼の前に腰を下ろした。

「ああ、ブリニョルフか…」

「デルビン、既に聞いていると思うがヴェックスはエリクールからの依頼を無事に完遂させた。
…その様子からして、その手紙はエリクールからじゃないのか?」

「エリクールからの手紙は先ほど確認した。うむ、君の言う通りだったよ。
今見ているこれは、あれだよ。件の、ダガーフォールのほうで見かけた人物に関する報告だ」

それを聞いた瞬間、ブリニョルフは思わず息を呑んだ。心臓が早鐘のように打ち始める。
…しかし、デルビンの様子を見るに芳しい結果ではなかったに違いないとすぐに思い直すが、それでも期待は捨てきれぬまま尋ねる。

「…それで、結果は?」

デルビンが首を横に振るのを見て、全身の力が抜けるのを感じた。毎回のこととは言え、やはりこの瞬間の落胆は筆舌に尽くしがたいものがある。

「そうか」」

「ブリニョルフ、そんなにあからさまに落胆しないでくれ。
報告する私だって辛いんだ」

「いや、俺は別に…悪かった」

ブリニョルフとしては態度に出さないよう努めたつもりだったが、彼にはお見通しだったようだ。そういえば、先ほどヴェックスとも似たような遣り取りをしたばかりだったと思い出す。
ギルドは2年前からある2人組を追っており、その内の1人が他ならぬメルセル・フレイである。
ただし、この人捜しはあらゆる意味で一筋縄ではいかない。

「…ブリニョルフ」

躊躇いがちに声をかけるデルビンに、視線だけ持ち上げて続く言葉を促す。

「今後もまだ続けるのか?」

「メルセルの捜索を諦めろと言うのか?」

「うぅむ、質問に質問で返すとは君らしくないが、つまりそういうことだ。
私は彼の捜索について、そろそろ潮時だと考えているよ」

と、彼は頷いた。ブリニョルフは内心で「俺らしくない」と反芻した。これもまた、先ほどヴェックスに言われたのと同じことだ。

「メルセルは俺たちを裏切り、ギルドの未来に疑問符を付けた。絶対に許すことはできないだろう。
奴に奪われたギルドの資産もそのままだぞ」

「しかしだな、彼が生きているかどうかもわからないじゃないか」

「いや、奴は間違いなく生きている。水に潜って確かめたが、死体を見つけられなかったのが何よりもの証拠だ」

「ブリニョルフ

再びデルビンが旧友の名を口にする。今度は溜息交じりの、どこか若造を諭すような響きを持っている。

「イルクンサンドの跡地には私も一度だけ君と一緒に行ったが、水没してかなりの規模の湖になっていたじゃないか。
水深も相当なものだったし、それにあの水温では君だってそう長くは潜っていられなかっただろう?
それで、隅から隅までくまなく探したと言えるのか?」

「それは…」

痛いところを突かれ、珍しく答えに窮してしまう。水没したイルクンサンドには水中呼吸の符呪を施したアミュレットを身に着けて何度か潜ったことがあるが、水中には崩れた遺跡な壁や床などの障害物が多く存在し、視界はとても良好とは言えなかった。更に、水の冷たさと水深も厄介な問題だ。深く潜れば潜るほど水圧が全身を苛み、限りなく0度に近い水は潜水服を着ていても体温を奪って行く。
あの途方もなく大きな水溜まりのどこかに、メルセルの亡骸が沈んでいたとしても、見落としている可能性は十分にある。
ここぞとばかりにデルビンは言葉を続ける。

「もし仮に、本当に仮にだが、メルセルが生きていたとしよう。
彼のことだから、そう易々と尻尾を掴ませることはないだろう。
しかも、彼は別にギルドを潰したいとかどうこうしたいという思いはない筈だ。
もしそのつもりなら、今頃我々はここにいなかったからね」
「…まぁな」

仕方なく頷く。メルセルは裏切りが発覚する直前に、ギルドの宝物庫からめぼしい宝を根刮ぎ盗んで行った。ギルド員の誰にも気付かれることなく、そして誰1人殺さずに、である。
デルビンの言う通り、嘗ては自分が率いていたこのギルドを積極的に潰す気なら、ギルド員を皆殺しにするべきだっただろう。そして、彼にとってそれはそう難しいことではない。

「この際だ、言わせてもらおう」

「……」

「君の言うギルドの未来というものを本気で考えるなら、いい加減にメルセルに拘るのをやめるんだ。
生きているかもわからない彼を追い続けるのは、はっきり言って時間と金と労力の無駄だ。
以前に比べてギルドの情勢が上向いて来ているとは言え、ギルドの資産は無限じゃあない」

暫くの間、ブリニョルフは何も言わなかった。というより、返すべき言葉が見つからなかったというほうが正確か。デルビンの言うことは正論であり、ブリニョルフ自身もそのことはよく理解しているが、ところが理屈では割り切れないというのが本心だ。
しかし、成り行きとは言えギルドマスターの任に就いた者の言葉として、それはあまりにも子供じみている。

「…わかった」

ややあって、短く言って頷いた。ヴェケルが運んで来てくれた食事は既に腹に収めてお頷くと同時に席から立ち上がる。

「すまんな。あんたの言う通りだよ、デルビン。
ギルドを介しての捜索は、今回を最後に打ち切るよ」

「…つまり、君個人としては今後も続けるということかな」

「カーリアと約束したんだ。ガルスの仇を取る、と。
そして、ガルスは俺にとっても…特別な存在だった」

少しだけ間があって、デルビンが「そうか」と呟くのが聞こえた。彼に背を向けて歩き出しながら、内心で「すまんな」と再び繰り返す。ガルスの名を出せば、デルビンがそれ以上何も言えなくなるだろうことはわかっていた。長い付き合いの仲間に対して汚い手を使っている自覚はあり、それ故に胸中で謝罪せずにはいられかった。
それでも、自分の本心を悟られる訳にはいかないのだ。

…あんな本心を悟られるのは、1人だけで十分だ。

それから小一時間ほど後、ブリニョルフはリフテンから少し離れた場所にあるナイチンゲールの間を訪れていた。
ブリニョルフがここを訪れるのは、これで3度目となる。この洞窟の入り口自体は、街道を離れた岩肌の間に実に巧妙に隠されており、よほど用心深く探さなければ見つけられない。岩肌と岩肌の間にある細い道を進んでいくと、徐々に人工物らしい趣へと変化し、道幅も広くなってきた。

ここは、ナイチンゲールの創設者が山腹を切り開いて造った根城だとカーリアから聞いた。実際は、根城と呼ぶのが躊躇われるほどに広大かつ堅固な要塞だ。通路はいくつかの部屋に枝分かれしていて、その先には居住区や食料庫に続いているが、ブリニョルフは真っ直ぐに最奥部を目指す。
少し上向きに勾配が付き始めた道を進むと、やがて開けた場所に出た。岩肌から染み出した水が清らかな泉となり、その泉の中心部には岩でできた円柱型の舞台のような場所がある。ブリニョルフが今立っている位置から、その舞台に続く道が岩の橋のように続いていて、更に舞台の後方にも3本の橋が延び、それぞれがもう少し小さめの円柱への道を造っている。
それらの円錐には、いずれも鳥と円盤を組み合わせた紋章が刻まれている。ナイチンゲールの紋章だ。ブリニョルフは、小さな円柱の1つへと足を進めた。

嘗て、ここでナイチンゲールとしての誓約を立てた時にも同じ場所に立っていた。その時はカーリアやもう1人の人物も一緒だった。
岩の裂け目から降り注ぐ陽光が水面を照らし、水の流れる音だけが響く。ブリニョルフは暫しそのまま佇んでいたが、やがて意を決したように口を開いた。

「…御身を召喚したてまつる、暗黒の女皇、影の女帝、女公ノクターナルよ…我が声に耳を傾けたまえ」

初めてここを訪れたあの日、カーリアが訥々と述べた言葉をそのまま諳んじたが、しかし暫く待ってみても何も起こらない。あの時は、カーリアの呼びかけに応える形で一番広い円柱にノクターナルが姿を現したものだが。
ブリニョルフは、落胆よりも安堵を覚えながら苦笑した。大真面目にあんな台詞を口にするのは、彼にとっては非常に羞恥を伴う行為で、今更のように気恥ずかしさが込み上げて来る。

「ま、やっぱり信仰心の欠片もないことを見抜かれているのかね」

敢えて口に出しながら、同時に「ノクターナルは信仰を求めない」というカーリアの言葉を思い出した。ナイチンゲールの衛士になったあの日以来、ノクターナルが彼の前に姿を現したことはない。
端から信仰心など欠片もないことを見抜かれているからか、未だに不壊のピックを取り戻すことができない誓約者に腹を立てているからか、それとも彼女の関心はカーリアだけに向けられたものだったか。

あるいは…

(お気に入りのカーリアを殺しちまった俺にご立腹で、顔も見たくないのかもな)

ブリニョルフ自身、別に黄昏の女神のご尊顔を拝みたくてここを訪れたわけではない。ここは、彼にとって始まりの場所であり、同時に終わりの場所でもある。
初めてここを訪れた瞬間から様々なことが大きく変化し、そして後戻りはできなくなった。

ブリニョルフには、黄昏の女公が自分の前に姿を現さないだろうという確信めいたものがあった。その上で、というよりも、だからこそあんな猿芝居をして見せたのだ。ノクターナルが姿を現す筈がない、むしろ彼自身も対面したいとは思わない。
それでも、ある種の期待をせずにはいられないという矛盾。

(…メルセルは今、あんたの領域にいますか。とでも聞くつもりだったのか)

思わず自嘲してしまう。

カーリアは死んだ。彼女に導かれ、自分と同時期にナイチンゲールになった者も行方不明だ。メルセルもまた生死がわからない。
盗賊ギルドの一員として裏切り者のメルセル・フレイを抹殺するという目的も、ナイチンゲールとして、あるいはガルスの弟子として、彼が奪った不壊のピックを黄昏の墓所へと戻すという使命もまだ果たせぬままだ。
不壊のピックがあるべき場所に戻らぬ限り、ギルドに降り掛かる呪いは解けない。少なくとも、カーリアからそう聞いた。

生死不明のメルセルの捜索を打ち切れというデルビンの言葉は正しいが、しかし、あくまでも問題の本質を知らぬ者の立場からの正しさに過ぎない。ブリニョルフは、ギルドマスターという立場だけでなく、ナイチンゲールの一員という立場でもあるのだから。

こんな宙ぶらりんな状態で、他の誰にも何の相談もできぬまま、月日ばかりが過ぎて行く。何としても不壊のピックを見つけ出し、黄昏の場所へと戻さなければならない。そのためにはまずメルセルの生死を、そして居場所を知る必要がある。冷たい水の底で物言わぬ亡骸となっているなら、不壊のピックを見つけ出すことも容易い。

もしも生きているとしたら…

そこまで考えかけて、小さく嘆息した。
何もかも欺瞞だ。

できることなら、もう一度あんたに会いたい。もう二度と以前のような2人には戻れないとわかっていても、それでもせめてもう一度だけ会いたい。
それすら叶わないなら…せめて、あんたとどこかで繋がっていたい。ギルドマスターとして、生死不明の裏切り者を追うという体裁を保ってでも。

「……」

殆ど無意識の内に、消え入りそうな声で慕わしい者の名を呼んだ。

(ブリニョルフさぁ、ますたーのことが好きなんだだよね?)

自分の優位を確信したような、嘲笑を含んだ少女の声が再び脳裏に蘇る。その少女こそ、墓場まで持って行くつもりだった浅ましい本心を見抜いた唯一の人物で、ブリニョルフは彼女のことを「小娘」と呼んでいた。彼女もまた、ナイチンゲールの一員である。

今から2年前、ブリニョルフは「小娘」と共に、このナイチンゲールの間でナイチンゲールとしての誓約を立てた。もちろんノクターナルへの信仰心からではない。ナイチンゲールの一員であるメルセルに対抗するには、自らもナイイチンゲールになる必要があると聞いたからだ。
それまでメルセルの犯した罪とは、先代のギルドマスターを殺害してその罪をカーリアに着せたことと、ギルドの財産を横取りしたことだと思っていたが、実はそれだけではなかったのだ。彼はノクターナルに誓いを立てながら、彼女の領域から不壊のピックと呼ばれる財宝を盗み出した。
不壊のピックは、この世のありとあらゆる鍵をこじ開ける万能の鍵だが、その力が及ぶのは物理的領域に止まらない。人の潜在能力さえも開くことができるこの鍵を手にした者は、無限の可能性を手に入れることができる。

しかし、それだけの強大な力を持つ財宝を盗み出した代償は大きく、カーリアの話によればメルセルが誓いを破ってノクターナルの財宝を盗み出したことで、盗賊たちはノクターナルに見放されてしまったのだと言う。
メルセルが不壊のピックを盗んだこと、それがギルドの凋落の始まりだというのが、ブリニョルフがカーリアから聞いた「真実」である。そして、このことはナイチンゲールの誓約を結んだ者以外に公言してはならない。

(結局、呪いなんてものは本当にあったのかね)

ヴェックスはそう口にした。
呪いの正体も、不壊のピックも、全てカーリアから聞いたに過ぎない。そして、カーリアがブリニョルフの前に姿を現す前から、ギルドには変化が訪れていた。
ホワイトランの有権者から緊急の依頼が舞い込み、折り悪く自分やヴェックスのような熟練のギルド員が全て出払っていた時だったとは言え、あろうことかメルセルはその任務を小娘に当たらせた。
ブリニョルフも含めたギルド員の小娘への評価は「まぁ悪くはない、賢く生きれば小金持ちになりこそこ長生きできるだろう」というところだった。そしてあの小娘は決して賢くはなく、むしろ自己を過信している傾向があり、ブリニョルフは彼女の身を心配していた。
ギルドにとって大きな転機になり得る任務に、よりにもよってあの小娘を当たらせるなど正気の沙汰とも思えないが、しかし彼女は無事に終えた。

それだけではない。
ヴェックスがゴールデングロウ農園への潜入を失敗したと聞くなり、命令を無視して勝手にあの農園に乗り込み、その結果目当てのものをギルドへと持ち帰った。農園全体を焼き払うという本末転倒なことをしでかしたが、少なくともギルドが求めたもの…農振主が農園を売ったという証拠を手に入れることと、リフテンの住人にギルドへの恐怖を植え付けるということには成功した。
他にも、ウインドヘルムの周辺で妙な動きを見せていた盗賊団を、ギルド員が眉を潜めるほどの卑劣な手段で陥れて再起不能な状態にして、その結果、ギルドはウインドヘルムの有権者からの協力関係を築くことができた。

執務机の側に飾ってあるバレンジアの王冠も、小娘が完成させたものである。いや、正確にはメルセルが小娘を上手く利用して完成させたと言うべきか。
24個の宝石を取り戻し、本来の姿を取り戻したこの王冠はギルドの構成員全ての盗みの技能を強化し、幸運をもたらすという言い伝えがあった。殆どの者がただの眉唾ものと考え、そんなあやふやな言い伝えを検証するためにわざわざ24個の石を集め切る酔狂な者などいる筈がない。ずっとそう思っていた。
しかし、メルセルは何年もかけて石を収集していた。おそらく、メルセルは初めは本気で全部を収集する気はなく、偶然にもいくつか手に入れたから何となく手元に置いていただけだろう。そんな折に小娘を利用することを思い付いたに違いない。

あの小娘は、何というか、はっきり言ってメルセルに首ったけだった。メルセルのほうはと言えば、彼女をそういう目で見ていなかったのは間違いないが、適当に飴を与えつつ上手く利用したのだろう。
後から判明したことだが、メイビン・ブラックブライアの別荘からも例の石を盗み出させたらしい。まともな神経を持つ盗賊なら、ギルドマスター直々の命令とは言え、ギルドの重要顧客から盗みを働くなど、そう簡単に首を縦に振りはしない。だからこそ、メルセルも彼女を使ったに違いない。もちろん、もし小娘が失敗した場合はメイビン・ブラックブライアにギルドマスターとして責任を取る形で、実行犯である小娘を処刑した筈だ。

とにかく、あの小娘は何もかもが無茶苦茶な奴だった。傑物とは言えないが、色んな意味でただ者ではなかった。
実力ある盗賊だったかと聞かれると、今でもどう答えていいか迷ってしまうが、1つだけ確かなことがある。

(メルセルはあいつを選んだ)

そのことを考える度、胸が締め付けられるように苦しくなる。

ナイチンゲールとなったブリニョルフが、小娘とカーリアと共に、イルクンサンドからガルスの最大の計画だった宝を盗もうとするメルセルに追い付いたあの日…最後にメルセルにあった日、彼はブリニョルフに幻惑魔法をかけてカーリアを攻撃するように仕向けた。
魂の奥底からカーリアを殺めたいという衝動が沸き立ち、その衝動に抗うのは並大抵のことではなかったが、それでも持ち前の精神力でもって何とか自分を制御しようとした。
自らの意思でカーリアに剣を振るってしまう己を何とか宥め、それによって剣の狙いは正確さを欠き、カーリアは何とか避けることができた。それでも時間の問題だということは明確で、早くメルセルを始末しなければならない。

唯一自由の利く小娘は何をやっているのかと思い、そちらに意識を向けた時、メルセルの言葉が聞こえた。小娘に向けられた言葉だ。

「お前と俺とは同類なんだよ!」

それに対し、小娘がどう返したかはわからない。メルセルの言葉を耳にした瞬間、全身の力が抜けるのを感じ、それより後の言葉は何も耳に入って来なかった。

ああ、そうか。
突出した実力の持ち主でもない小娘に、どうしてメルセルが目をかけるのか全く理解できなかった。
あの小娘の中に、メルセルは彼にしか理解し得ない素質を見ていたのだ。ブリニョルフにもヴェックスにも、他のいかなる実力者にもない何かを、メルセルの他には彼女だけが持っていた。
ブリニョルフは、長きに渡って常にメルセルの側に寄り添い彼を支えてきたつもりだったが、しかし自分は彼の眼中にはなかったのだ。

そう悟った瞬間、幻惑魔法が完全にブリニョルフを支配した。それはほんの一瞬の間だったのかもしれない。
しかし、その一瞬で十分だった。

ブリニョルフの身体が、ブリニョルフの意思に反して渾身の力を込めて剣を振り下ろした。カーリアから受け取った剣…ガルスの形見であるその刀剣が、カーリアの首を跳ね飛ばした。カーリアの頭部が地面に転がり、その紫色の双眸がブリニョルフを捉える形で静止した。

カーリアを手に掛けてしまった。
ガルスが、敬愛する師が愛した女を。
志を同じくした仲間を。

自らの手で殺してしまった。

ブリニョルフはその場で膝を着いていた。いつのまにか手放していた剣が傍らに転がっていたが、そのことにさえ意識が回らない。まだ戦いの最中だというのに。

「ブリニョルフ、カーリアを殺したかったんだね?」

すぐ側で声が聞こえると同時に、小さな手が肩に触れ、小娘がすぐ間近にいることに気付いた。呆然とするブリニョルフを余所に、小娘は淡々と語る。

「幻惑魔法は、あくまでその人の内にある感情に作用する魔法。
特定の感情を煽ったり抑えたりはできるけど、その人の中にない感情については干渉できない」

幻惑魔法の基本中の基本を淡々と述べる小娘の言葉を否定したかった。しかし、現にカーリアを殺したいという衝動に抗えずに殺してしまった彼にはとても口にすることができなかった。

何より、ブリニョルフ自身わかっていた。

あの衝動は元々自分の中に存在したもので、メルセルが掛けた魔法はそれを増幅したに過ぎないということを。ブリニョルフの肩に手を置いたまま、小娘は言葉を続ける。

「その人の中にない感情には干渉出来ないし、激昂を使ってもその人が絶対殺したくない対象には攻撃させられない。

…でしたよね?ますたー」

文献からそのまま引用したかのような説明を連ねた後、彼女はいつもと変わらぬ緊張感のない調子で言って顔を上げた。メルセルが近くにいる、そう意識すると同時に今の状況を思い出した。

まだ戦いは終わっていないのだ。
何としてもメルセルを殺さなければならない。

改めて決意し、ナイチンゲールの剣を手に取ると同時に、凄まじい轟音が響いた。
足下が揺れ、頭上から大小様々な石が落下し、砂埃が舞い上がる。視界が効く内にこの場を離れなければと思ったが、壁を走る無数の金属の管が破裂して、そこから大量の水が溢れ出る。先ほど入って来た入り口は既に落下した岩に押し潰されている。
小娘、と声を限りに呼びかけたが返事はない。しかし小娘を探している余裕はなかった。
それからどうやって脱出したかはよく覚えていない。落下する岩を無我夢中で避け、その間にも見る見る内に上がっていく水から必死で逃げ、ついに横道を見つけてがむしゃらに飛び込んだ。運良くこれが当たりで、遺跡の外へと繋がっていたために生き延びることができた。遺跡に入る前に用意しておいた小さな野営地で暖を取り、保存食を口にして体力を回復した後で遺跡に戻ってみたが、完全に水没していた。
周辺を探したが、メルセルも小娘の姿も見えず、何の痕跡さえ見当たらなかった。

以来、メルセルの生死はわからないままで、不壊のピックもまだ見つかっていない。もちろん彼が盗んだギルドの財産も取り戻せていない。

「ブリニョルフ、カーリアを殺したかったんだね?」

小娘はそう言った。そして、それは当を得ていた。あの時、そんなことを考えるべきではないと思いながらも、それでも彼女の死を望まずにはいられなかった。
いや、もっと昔からだ。
今から30年近く前、ガルスがまだ健在だった時からである。
ブリニョルフはガルスを慕っており、メルセルもまた彼のことだけは唯一認めていたと思う。ガルスがいて、メルセルがいて、自分もいずれギルドの運営に関わるようになり2人の役に立ちたいと考えていた、何もかもが完璧だったあの頃、しかしカーリアという女の登場で雲行きが怪しくなる。

カーリアは一目見た瞬間からガルスに関心を寄せ、ガルスもまた美しく腕の立つカーリアに強く惹かれた。カーリアのガルスへの想いに偽りがあったとは言わないが、しかし、当時のカーリアはあまりにも奔放で、ガルス以外にも多くの男と親しくしすぎていた。
カーリアの瞳が、かのバレンジア女王の象徴のような紫色だったこともあり、彼女に奔放な女王の姿を重ねてカーリアを「バレンジア女王の隠し子」と揶揄する者も少なくなかった。そう口にしていた者も、まさか彼女がバレンジア女王の孫娘だとは想わなかっただろうが。
カーリアと親しい関係を築いた男が次々に不慮の事故で亡くなり、それに反してカーリアは順調に任務をこなしてギルドでの地位を築いていったこともあって、彼女が自分の男に面倒事や危険を伴う仕事を押し付け、甘い汁だけ吸っているのではないかという噂も度々耳にした。真相はわからないが、カーリアとの出会いによってガルスは変わってしまった。
元来、ガルスは異性には興味のない学者肌の男で、これまで女に逆上せ上がるようなことがなかったが、彼女との仲睦まじさは目に余るほどだった。ガルスはカーリアという毒婦に利用されているのではないかと懸念する者もいたが、その声が彼の心に届くことはなかった。
ガルスとメルセルの関係にも変化が生じ、ガルスはギルドの運営に関わる面倒事の全てをメルセルに押し付け、カーリアとの時間を最優先するようになった。

…多くの者が「これでいいのか」と疑問を禁じ得ない日々が続いていたところで、無数の矢傷を負ったメルセルが命からがらといった風情でギルドに帰還すると同時に「ガルスがカーリアに殺された」と衝撃に事実を告げた。ギルドの誰もが「やはりか」とメルセルの一方的な言葉を信じた。
つまり、カーリアはなるべくしてガルス殺害の濡れ衣を着せられることとなったのだ。カーリアが犯人に仕立て上げられる土台は十分に出来上がっており、メルセルはそれに最後の仕上げを加えて完成させた。
カーリアは、確かにガルス殺害の件では無実だったが、ブリニョルフにとってはあの完全だった日々を壊した張本人だ。彼女への憎しみをメルセルに見抜かれ、まんまと利用されてしまった。それでも、ブリニョルフがカーリアを殺したことに変わりはない。

「……」

いつのまにか、岩の間から降り注ぐ陽光が暖色を帯び始めており、ここに来てから随分と時間が経っていたことに気付く。そろそろギルドに帰り、仕事に手を付けなければならない。
ブリニョルフは息を吐き出すと、来た道を戻り始める。最後に円錐型をした舞台を振り返ったが、やはりノクターナルが姿を現す気配はない。

メルセルの生死はわからない。
不壊のピックはまだあるべき場所に戻っていない。

それでもギルドにはバレンジア女王の王冠がある。美術品や宝飾品としての価値もさることながら、ギルドにとってはそれ以上の意味を持つ逸品で、これはメルセルが残していったものだ。
メルセルがいる間に、ホワイトランとウインドヘルムにギルド進出の足場を築くことができた。東帝都社のスパイを再びギルド側に抱き込むことにも成功した。
そして、つい最近もソリチュードの有権者からの依頼を受け、首都にも後ろ盾を得ることができた。

何もしなくても、寝ながらでも次々に金が入ってくるというほど現実は甘くはない。何しろ、盗賊稼業は常に危険と隣り合わせの後ろ暗い仕事であり、腕が立って酔狂な者でなければ続けられない。
それでも、ギルドは順調に発展している。

不壊のピックをあるべき場所に戻せていない以上、カーリアの言った呪いは解けていない筈だ。まだ呪いは続行しているのか、もしかしてメルセルの死でもって断たれたのか…あるいは、最初からそんなものはなかったのか。

ブリニョルフには知る由もない。彼は心に空漠たる思いを抱えながら、それでもギルドマスターとして精一杯自分にできることをして日々を過ごす。

盗賊とは言え、多くの者は掟を守って、あるいは掟に縛られて生きている。世の中には摂理というものがあり、それに背いてまでは生きられない。
デイドラロードから奪うという行為は、その摂理に背く行為だ。そんな傲慢は、定命の者の身では決して許されることではない。ブリニョルフはそのことを本能的に理解しており、盗賊としての掟を守り、世の摂理に背くことなく生きている。真っ当に生きる人々から見れば、後ろ暗い仕事であることは否めないが、彼は自分の領分というものを弁えている。

しかし、メルセルは違った。凄腕の盗賊で、ナイチンゲール三人衆に選ばれるほどの突出した実力者という枠では満足できず、とうとう侵してはならない領分にまで手を伸ばした。
カーリアの言う呪いがどういうものだったか、本当のところはわからないが、彼のその行いがギルドの凋落の原因となったことについてはブリニョルフも確信している。メルセルのせいでギルドは散々な目に遭った。それでもブリニョルフは…だからこそと言うべきか、彼の狂気にさえ似た傲慢な強さに惹かれずにはいられない。
自分の領分を弁えているブリニョルフは、決して彼のようにはなれない。仮にメルセルが引き起こした騒動がないままナイチンゲールに任命されて、万能の鍵たる不壊のピックのことを知ったとしても、盗み出そうなどとは考えもしなかっただろう。

良くも悪くもメルセルは規格外だった。
そして、そんな彼の狂気に共感できる唯一の存在こそ、あの小娘だったのだ。だからこそ、メルセルは小娘を同類と呼んだのだとブリニョルフは思っている。メルセルが見ていたのは彼女で、ブリニョルフは彼の目に映ってなどいなかったのだ。おそらくは、最初からずっと。

そのことを考えると、どうしてもやるせない思いが込み上げてきて、唇を噛んでしまう。
ふと、執務机に近付いて来る人物に気付いて顔を上げると、何やら複雑な顔をしたデルビンと目があった。

「やぁ、ブリニョルフ。忙しいところ悪いね」

「いや、構わない。何かあったのか?」

「うむ、まぁ…そうとも言えるかもしれない」

「何だ?随分と歯切れが悪いな」

デルビンは何やら不明瞭なことを呟いた。ブリニョルフから目を逸らし、なかなか本題に入ろうとしなかったが、やがて意を決したうように彼に向き直った。

「正直、自分で切り上げろと言った手前、言い出しにくいのだがね。
少し前に、ダガーフォール絡みの情報で君に残念な報告をしたことは覚えているだろう」

「ああ。まさか…」

「いや、確定ではないが、落ち着いて聞いて欲しい。
ダガーフォールで調査に当たっていた情報屋だが、おそらくシロだろうということで一度は殆ど諦めららしい。
ところが、その直後に目星を付けていた件の人物が消えたのだとか」

「消えた、だと?それは、文字通りの意味なのか?」

「うむ、いかにも。何の痕跡も残さず、まるで初めから存在していなかったかのように、忽然と姿を消したそうだよ。
念のため、僅かな手がかりが残っていないか手を尽くしたが、足跡1つ見つけられなかったという話だ」

「それは…妙だな。普通の人間なら、そんなに綺麗さっぱり消えることなど不可能だ」

「だろう?
まだ不確定ではあるが、君の耳に入れておいたほうがいいと思ったんだ」

「そうか…いや、助かる」

ブリニョルフはデルビンに礼を述べ、今聞いた話を脳裏で反芻する。忽然と姿を消すというのは相当に難しい芸当だが、しかし、仮にメルセルの仕業とするならあまりにお粗末だ。疑いをかけられた直後でそんなことをすれば、却って自分に疑惑と警戒を向けることになるというのに。
そこまで考えてから、不意に閃いた。

「間違いない。それはメルセルだ」

「何?」

メルセルの生存を確信すると同時に、思わずそう口に出していた。
メルセルを追ってイルクンサンドに赴いた時のことだが、遺跡に入るなり3本のロックピックと高級酒が置いてあった。他にも、彼はわざわざ鏡文字やギルドの員同士で使用する暗号であるシャドウマークを使って、ブリニョルフたちに皮肉なメッセージを残して行った。ギルドを裏切った身でありながら、シャドウマークやブラックブライアのプリザーブを用いるのが何とも彼らしい。

今回の件も、言ってみればギルドに対する挑発的なメッセージだ。ブリニョルフは、今まで眺めていた台帳を閉じてデルビンに視線を向ける。

「これはメルセルからの宣戦布告と見て間違いない。
そんなことをすれば疑いを深めるのは目に見えているのに、わざとそうしてみせたんだ。
デルビン、奴の生存が確定した以上は今後も捜索を続けようと思う。
いいよな?」

「うむ、こうなった以上は仕方ない。
私としても、やられっぱなしというのは正直言うと気に入らないし、反撃を試みたいとも思っている。
しかしまぁ…何だ、良かったよ」

「何がだ?」

ブリニョルフの問いに、デルビンは口の端を釣り上げて笑った。

「ここ暫く塞ぎ込んだようだが、元気が出たじゃないか。良かった良かった」

「塞ぎ込んでいた?俺が、か?」

不服そうなに聞き返すが、デルビンは笑って誤魔化すばかりでそれ以上何も言わない。やがて、早速手配に取り掛からなければと言ってその場を後にした。

(やはり生きていたか…メルセル)

ギルドマスターとして、ナイチンゲールとして…何より、彼に切り捨てられた身として、何が何でも彼を追い詰めるつもりだ。自分は仮にメルセルに手を差し伸ばされたとしても、彼の手を取ることは決してなかっただろう。

それでも。
それでも、彼に惹かれる自分を抑えることはできないのもまた事実。

共に在ることはできなくても、それでもとことん追いかけ追い詰めてやる。
…どこまでも追い縋ってみせる。

そう決意した時、ブリニョルフは自分でも気付かない内に口元に笑みを浮かべていた。